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横浜地方裁判所 昭和54年(ワ)925号 判決 1984年6月26日

原告

阪上英二郎

原告

阪上輝雄

原告

阪上チサエ

右原告ら訴訟代理人

谷口隆良

谷口優子

佐伯剛

被告

馬場俊也

被告

馬場和臣

右被告ら訴訟代理人

岡部眞純

中村芳彦

高橋達朗

主文

一  被告らは、各自、原告阪上英二郎に対し四九九四万〇〇六三円、原告阪上輝雄及び同阪上チサエに対し各一六五万円並びに右各金員に対する昭和五一年五月一五日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを二分して、その一を原告らの、その余を被告らの各負担とする。

四  この判決は、主文第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、連帯して、原告阪上英二郎に対し一億一一三四万一二一四円、原告阪上輝雄及び同阪上チサエに対し各三三〇万円並びに右の各金員に対する昭和五一年五月一五日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求の原因

1  本件事故の発生

(一) 日時 昭和五一年五月一五日午後四時三〇分頃

(二) 場所 横浜市旭区上白根町七〇八番地先県道二五号線上(以下「事故現場」という。)

(三) 加害車 普通乗用自動車(佐五五せ六三六四、以下「加害車」という。)

右運転者 被告馬場俊也

(四) 被害車 普通貨物自動車(練馬四四ら七二四一、以下「被害車」という。)

右運転者 原告阪上英二郎

(五) 態様 被害車は、事故現場付近を進行中、前方に加害車を発見したので、その側方通過のため対向車線上に移動したところ、右折横断をはかつた加害車も対向車線上に出てきたため、加害車の右前フェンダー部分と被害車の左前部とが衝突接触し、このため、被害車は右前方にあつた道路脇の電柱に衝突した(以下「本件事故」という。)。

2  責任原因

(一) 被告俊也は、右折横断するに当つては、後方を注視して進行してくる車輛の有無を確認し、あらかじめ右折合図をして後続の車輛に注意を促す措置を採るべきであつたのに、これらをいずれも怠り、漫然右折横断したため、本件事故を発生させたものであるから、民法第七〇九条の規定に基づいて本件事故により原告らが受けた損害を賠償する責任がある。

(二) 被告和臣は、加害車を所有し、これを被告俊也に使用させていたものであり、また、被告俊也による加害車の使用の監督を怠つた過失により本件事故を発生させたものであるから、加害車の運行供用者として自動車損害賠償保障法第三条の規定或いは民法第七〇九条の規定に基づき本件事故によつて原告らが受けた損害を賠償する義務がある。<以下、事実省略>

理由

一請求原因1(本件事故の発生)の事実について

1  右事実の(一)ないし(四)の各点については当事者間に争いがなく、同(五)のうち、被害車が加害車と接触したこと及び被害車が電柱に衝突したことは当事者間に争いがない。

2  <証拠>を総合すると、被害車は、進路前方に進入して来た加害車との衝突を避けるために右転把し、その直後加害車の右前部が被害車の左側面に衝突し、被害車は方向を変えることなく一一メートル先の路側の電柱に衝突するに至つたことが認められる。

3  右の事実によれば、加害車が被害車の前方に進入したことが、加害車と被害車との衝突及び被害車と電柱との衝突に原因を与えたことは明らかである。

二  そこで、請求原因2の(一)(被告俊也の責任原因)の事実について判断する。

1  <証拠>を総合すると次の事実が認められる。

(一)  被告俊也は、事故現場の道路脇にある品川燃料中山営業所に用があつて県道二五号線(以下「本件道路」という。)を走行してきたが、進行方向右側の右営業所を約一〇メートル通り過ぎてしまつたため、同営業所前付近まで後退した。

(二)  被告俊也は、後退中には自車に接近してくる後続車を発見しなかつたところから、発進直前に、再度、自車の側方を通過しようとする後続車の有無について十分の注意を払わず、路外の同営業所構内に入るため右折発進した。

(三)  <反証排斥略>、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

2  被告らは、被告俊也が右折合図をし、後方の安全確認もしたうえで右折発進し、車体も道路に対し斜めの状態になつていたのに、原告英二郎は無理に加害車の側方を通過しようとしたと主張し、これに沿う被告俊也本人の供述もあるが、以下に示すとおり右供述は信用できず、或いは先の認定を揺がすに足りず、被告らの主張は採用しがたい。

(一)  後方の安全確認をしたとの点について

(1) <証拠>によれば、次のような事実が認められ<る。>

(イ) 被害車と加害車の進行し来つた本件道路は、右両車にとつての後退方向に向つていつたん下り、その後上つて、さらに下るという多少の勾配はあるものの、直線道路であり、事故現場から同後退方向に向つて約一〇〇メートルを見通すことができる。また、本件道路は、片側三メートル幅一車線の対面通行道路であり、追い越しのためのはみ出し禁止区間であることが黄色い中央線を似て明瞭に表示され、路側帯は白線を以て表示されている。

(ロ) 進行方向左側は車道端にガードレールが設けられ、営業所構内への幅9.5メートルの取付道路部分の手前左側付近において一部切れている。

(ハ) 加害車が被害車の左側面に衝突した地点は、右の取付道路の中心直前の対向車線上で、右折開始地点から5.3メートルの距離にある。

(2) 右の事実に照らすと、被告俊也が右折発進直前に後方の安全確認をしたとすれば、被害車が極端に速く走行したとせざるを得ないことは計数上も明らかである。

(3) なお、<証拠>によれば、事故直後路上に被害車のものと認められるタイヤ痕が一七メートルにわたり印象されていることが認められるが、<証拠>によれば、右道路部分の表面は当時土砂で覆われていたことが明らかであり、右タイヤ痕の長さ等から被害車の速度を推し測ることはできない。

(4) 結局、原告英二郎が極端な高速で走行したことを認めるに足る証拠はない。

(5) <証拠>によれば、被告俊也は、事故直後、捜査官に対し、後方の安全確認義務不履行があつたことを認め、これを前提とする同被告に対する業務上過失傷害被告事件の略式命令は昭和五一年一一月七日確定したことが認められる。

(6) 以上によれば、後方の安全確認をした旨の被告俊也の供述は、これを右折発進直前にした趣旨とするときは到底信用し難い。

(二)  右折合図をしたとの点について

(1) <証拠>によれば、被告俊也は、事故直後、捜査官に対し、本件事故当時、右折を開始してから右側の方向指示器を出そうとしたが、出す前に被害車と衝突してしまつた旨の供述をし、この点を前提とする略式命令は前記のとおり確定していることが認められる。

(2) 本件事故直後、本件現場において、原告英二郎が被告俊也に対して、加害車は右側の方向指示器を出していなかつたと主張し、また、加害車が突然右折したと非難したことは、被告俊也が本人尋問において認めているところである。

(3) そうすると、右折合図をしたかに言う同被告本人の供述は相当に疑わしく、少なくとも、加害車の側方通過をはかろうとする後続車の運転手に対して十分の時間的余裕を置いて合図がなされたと認めるには到底足りないというべきである。

(三)  加害車は道路に対し斜めの位置にあつたとの点について

(1) 被告俊也の供述中には、営業所構内へ入るために少し斜め方向に後退したかに言う部分があるが、前記のとおり、被告俊也が後退したあたりには、一部切れているとはいえ、車道端にガードレールが設けられており、他方、営業所への取付道路は、幅9.5メートルあつて、普通の車輛が通過するには十分の余裕があることから、通常の運転手が右折横断のためことさら車体を斜めに移動するとは考えられず、右供述は、後退の結果加害車後部が少し路側に寄つた趣旨を述べるにすぎないと認むべきである。

(2) そして、<証拠>によれば、原告英二郎は、前方に加害車を発見したときこれを停車車輛と思つたことが認められ、原告英二郎のこの認識をも併せ考えると、加害車後部が路側に寄つた事実があつたにせよ、それが、後続車輛に対し、加害車が横断しようとしていると思わせるに足るものであつたとは到底認め難い。

3  従つて、被告俊也には原告ら主張のごとき過失があるから、同被告は民法第七〇九条の規定による不法行為責任を免れることができない。

三請求原因2の(二)(被告和臣の責任原因)及び抗弁1(運行供用者の地位喪失)の各事実について判断する。

1  被告和臣が加害車の所有者であつたことは当事者間に争いがない。

2  そこで、昭和五〇年八月ころ、同被告が加害車を被告俊也に譲り渡し、事故当時は運行供用者の地位を失つていた旨の抗弁1の事実について判断する。

(一)  <証拠>を総合すると、次の各事実が認められる。

(1) 被告和臣は、加害車を取得した昭和四九年七月ころは、佐賀県の父親方近くに住み、父親の営む造船業の手伝いをしていたが、給料について定めもなく、加害車購入に要した七〇万円については、同被告の働き分から支払つておくとの父親の説明をそのまま承認し、仔細は何も承知していなかつた。

(2) 被告俊也は、昭和五〇年五月一日、普通自動車運転免許を取得したので、佐賀にいる被告和臣に電話して新車を買いたい旨の相談をしたところ、当時被告和臣が佐賀県で使用していた加害車を被告俊也の住む神奈川県へ持つて行つて使つてよいと言われた。そこで、被告俊也は、新車を買う計画を断念し、同年八月、佐賀の実家へ帰省した際に、これを受けとり運転して帰つた。当時、被告和臣もまた別の自動車を買いたいと考えていたところ、右相談を受けたので、同被告は被告俊也に対し、新車を買うかわりに加害車を持つて行つて使用すればよいと言ったのであつた。

(3) 被告和臣あるいは父親が、被告俊也に対して、特に加害車の代価として金員を要求することはなかつた。(被告俊也の供述中、同被告が、昭和五〇年一二月ころ、被告和臣の新車を買う頭金として一〇万円を現金書留で送つたと述べる部分があるが、同被告は送り先は父親であつたとも述べているから、新車購入費名目で送金がなされたかは疑わしい。)

(4) 当時、被告らの父親が個人経営する造船所には、トラックが一台と他に自動車一台があつたが、普通乗用自動車はなかつた。

(5) 被告和臣は、昭和四九年一二月、加害車に自動車損害賠償責任保険を付したが、被告俊也は、自己が加害車を神奈川県へ持つてきて使用を始めた後も、右保険の名義を変えず、本件事故当時の右保険の保険契約者は被告和臣のままであつた。また、被告和臣は加害車を買い受けた後も同車の所有者名義変更の手続きをせず、被告俊也が同車を神奈川県へ持つて行つて使用を始めた後も、本件事故まで、同車の名義は変更されなかつた。

(二) 以上の事実によつて考えるのに、昭和四九年七月ころ被告和臣が加害車を取得したとはいうものの、同車は実際には「家の車」となつたものであり、被告和臣が被告俊也に対して同被告が加害車を神奈川県へ持つて行つて使用することを許したのも、兄である被告和臣に先んじて新車を購入するよりは、取り敢えず「家の車」を持つて行つて使つて構わないという趣旨の使用許諾であつたにすぎないというべきである。

もつとも、家族構成員間のかかる使用許諾の関係がなし崩しに保有者の地位の実質を有するに至る場合のあることは否定し得ないし、被告和臣本人尋問の結果によれば、遅くとも昭和五〇年一二月末までには同被告は新車を購入したことが認められるが、右の時期と本件事故時との隔たりが大きくないことも考慮すると、未だ右の意味における保有者の地位の移転はなかつたものというべきである。

(三)  そうすると、被告和臣は、本件事故時には未だ加害車の保有者たる地位を失つていなかつたのであるから、同車の運行供用者としての責任は免れず、民法第七〇九条の規定に基づく不法行為責任について判断するまでもなく、原告らの損害を賠償する責任を負う。

四<中略>

(九) 過失相殺

先に認めたとおり、事故現場付近の道路は比較的幅員が小さく、追い越しのための対向車線へのはみ出しが禁ぜられ注意深い運転が要求されている場所であり、原告英二郎も運転者が車内にいると判断した(前出の乙第七号証によれば、原告英二郎は加害車に接近したときにクラクションを鳴らして警告を発したことが認められ、この事実から右のように推認しうる。)のであるから、加害車の側方を通過する際は減速するべきであつたのにそうはしなかつた(被告俊也本人の供述中には、原告英二郎が逆に加速したと自ら述べたやに言う部分があるが、にわかに信用し難い。)。事故の態様から、原告英二郎が減速しなかつたことが事故の発生及びこれによる損害の発生に影響を与えたことは、十分推認しうる。

そこで、これらの事情を考慮し、前記(一)ないし(八)の損害合計額から過失相殺としてその一割五分を減ずることとする。<以下、省略>

(三井哲夫 曽我大三郎 加藤美枝子)

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